自分の中にある「戦争」の種

 

コロナの自粛生活が続いています。

 

このような時期にお勧めの本として、

イマキュレー・イリバキサさんの

「生かされて」を紹介していただきました。

1994年、「永遠の春」と呼ばれたルワンダで大量虐殺が起こった。人口比9割のフツ族が突如ツチ族に襲いかかり、100日間で100万人の人々を殺したのだ。牧師の家の狭いトイレに7人の女性と身を隠した著者は、迫り来る恐怖と空腹に負けず、奇跡的に生き延びた。祈りの力によって、希望の光を灯したその後の彼女は、虐殺者たちをも許す境地に達する……。

Amazonの紹介より)

 

この本を読んで私の心に響いたのは

日常の中にある自分の中の「戦争」

「赦す」という大きな力。

 

隣人が大鉈を振りかざして、殺しに来るようなことと比べると

人を悪く思ったり、批判したり、嫌な態度をとったり、傷つけたりすることが

別の次元のことのように思っていました。

 

自分が「戦争」の種を生み出している。

 

そんなことを考えることもなく、

 

瞬時に自動的にそのような感情を生み出して

時には言葉や行動にまで現わしてしまうことがあります。

 

 

私が日常的にやっている事が本当は「戦争」を生み出している。

 

 

そう教えて頂いていたのに、

小さなことに感情的に反応し、

イライラしたり、被害妄想にとらわれたり・・・、

 

毎日のように私は「戦争」の種を生み出してしまっている。

 

 

 

この「戦争」の種はエゴ、そして自己愛

 

 

 

私が生きている同じ時の中で、

イマキュレーさんが過ごした地獄のような時間。

隣人や、友人だった人が自分を名指しで殺そうとすぐ傍で声を荒げている・・・。

 

私は、今も同じ世界にたくさんの「戦争」が起こっている事にも無関心で、

そして、日々、この「戦争」の種を、自らが無意識に生み出してしまっている。

 

私は、誰も傷つけたくない。 といいながら、

自分の思うようにいかない事や人に対して

ジャッジし、

時には報復する。

 

これは「戦争」。

小さな「戦争」だと思う。

 

そして、これはやがて、人を殺してしまうほどの「戦争」を作り出す。

 

 

 

私は、どんなに小さな「戦争」もしない。

 

私は世界に「戦争」を生み出さない。

 

 

そう決めて、自己愛撲滅に取り組んでいきたい。

 

 

 

 

感謝の心

朝起きてから、どれだけの数の「自己愛」が発動されたか・・・。

 

瞬間的に「イラっ」としたり、決めつけたり、ジャッジしたり・・・。

私は毎日、気が付かないうちに沢山の「自己愛」を発動している。

 

その原因の一つに感謝が足りないという事があると思う。

 

例えば、『朝の自転車置き場のおじさん』

いつも集まって話していて、後ろの入り口から入っても誰も気づかない。

時間がないのに、前の入り口までいかなければならない。

以前は中央、後方と人が分散していて、気を配ってくれていた。

・・・等々。

 

こんな時、私は「自己愛」が発動する。

 

仕事してくださいよ! と。

 

そういう空気を醸し出して、「ありがとうございます」と

いうものの、そっけなくその場を立ち去っている。

 

掃除や整頓、月極の管理、学生への声掛け・・・朝の一瞬の対峙では

見えないところで、沢山の作業をしてくださっている事への

理解や感謝の気持ちが少ないのだと思う。

市の駐輪場は格安だし、いつもきれいにしてもらっている。

 

私の目に見えている世界はほんの一部だ。

私が生きているという事は、いろんな方のサポートがあるという事。

物が一つ私の手に入るまで、どれだけの人がかかわるのか。

材料から考えると1本の鉛筆でさえ、本当に沢山の人が関わっている。

 

いつも、そして瞬時に出来事や物事の有難さが理解ができればいいけど、

そんなことができるはずもないので、

普段から、感謝ノートをつけていこうと思ったのに、また止まってしまった。

 

身の回りの微細なことにもっともっと目を向けて、

自分の理解に及ばない部分へ少しでも理解しようという気持ちを持っておきたい。

自分に与えられたものや、自分が関わる人、この世界の微細な部分にもっと

感謝できるようになりたい。

 

 

人を悪く思う

別に私の事を言ってるわけではないのに、

なんだか自分に遠回しに言われているようで、人を悪く思うところがある。

自意識過剰な反応。

誰かの発言を自分の事として、自分を顧みたり、反省したりするのはいいと思うが、

勝手に勘違いして、勝手に嫌な気持ちになって、その人を悪く思うのは

「自己愛」だ。

悪く言われている、私の事をうわさされている。といつも頭の中で

勝手に妄想している自分がいる。

 

私は、「圧倒的に言われなれていない。」と助言をもらったことがある。

 

思い起こせば、今までは、

言われないように、言わさないように、全力で防御してきた。

とにかく自分の悪いところを指摘されるのが異常に怖い。

(自分には存在価値がないと思っているので)

自分の存在価値を少しでもあげることが言動のエネルギーだったから、

全否定されているように過剰に反応する。

(自分を好きになる人はいないと思っているので)

やっぱり、私なんていないほうがいいと極端に反応してしまう。

 

存在を否定されたとスイッチが入って、過剰反応するので、

だれも何も言えなくなるのだと助言をもらった。

 

言うのも本当に大変でつらいことなのに・・・。

 

 

ジャイアンだった私は人の気持ちも考えず、ガンガンに言いたいことを言ってきた。

親にも、職場でも、自分がいいと思う事を振りかざして生きてきたから、

余計に、言いにくい存在だったと思う。

 

だから、私はcommunicationのとり方について、

ほとんど助言をもらえずに今まで生きてきてしまった。

 

沢山の人を傷つけたと思う。思い出すのも嫌な言動がたくさんある。

今までは気づけていなかったので、割と上手く仕事もこなしてきたと

勝手な記憶を作り上げていた。ほんとに傲慢・・・。

 

気づかせてもらえたことで、改めて今までの言動を振り替えると、

ほんとうに、ほんとうに怖くなる・・・。

私が傷つけた人に謝っても謝りきれない・・・。

 

 

私が傷つけてしまった人、ほんとうにほんとうにごめんなさい。

 

 

 

私に出来る事は、どんな小さな「自己愛」も見逃さず、

撲滅に向けて努力を続けるしかない。

 

傲慢な自己愛をなくしていけますように。

どうか、これからは大切な人を傷つけることがありませんように。

 

 

 

 

自己愛性人格障害

 

自己愛性人格障害

 

改めてwikipediaでみると怖いくらい自分に当てはまる項目が多い。

 

人生の折り返し地点にきて、自分が自己愛的であると指摘を受けた。

 

これは自分にとって本当に有難いことだった。

 

 

今思えば、今までの自分は猪突猛進型のジャイアン

人の役に立ちたいという思いはあるものの、根拠のない自信や、

過大な妄想にとらわれていた。

やりたいことに溢れていて、上司や権力者に対しても、

臆せず向かっていくようなタイプ。(今思い出すとかなりメンドクサイ。)

 

自己顕示欲が強く、何かを成し遂げなければ。といつも思っていた。

(それは後で振り返ると、自分の自己肯定感の低さから、

何かを成すことでそれを埋めなければという必死な行動だったと気づく。)

 

私は、人との深い関りや、結婚などどいう長期的で密接した関係を極度に避けてきた。

結局いつか嫌われるだろう。(➡関係が深くなるといつもダメになるので)

相手の両親や親戚とうまくやれるはずがない。(➡自分の親ともうまくやれない為)

結婚式なんて無理!(➡両親への手紙や、挨拶・・・もろもろ、無理無理!)

そういえば、長期間居ない遠洋漁業の人か、言葉や習慣が全く違う外国人なら大丈夫だろうか?とも考えていたな・・・。

 

それでいて、孤独感が強く、自分を選んでほしいという思いが強いので、

誰かと付き合ったりすると、本当に私を選ぶのかどうかということを暗に試したりして、困らせたりしていた。

それなのに、年齢的に「結婚」という話が出てくると極度に不安になって、自分で関係を終わらせたり、初めから「結婚」にならない恋愛を選んだり・・・。

 

私はいつもうまくやれないという思いが心の奥深くにあって、

それを補うために、誰かの役に立って、必要とされたいと行動したり、

存在価値を高めようと、残業したり、資格を取ったり・・・と変な対処行動ばかり

とってきた為、今本当に大切な人に出会えているのに、上手く関係が築けずにいる。

 

元来のADHDも重なって、自己愛的な性格で大切な人達を深く傷つけたり、

傲慢さや、他者への共感力の低さから、多大な迷惑をかけてしまったりしてしまう。

 

簡単には直せない部分も多いと思う。

 

でも、この人生で深く付き合っていきたいと思える人達に出会えた幸せを

手放したくない。

親との関係も時間は残り少なくなってしまったけど、大切に回復させていきたいと

思っている。

 

なので、日々の「自己愛」に気づくことから始めていこうと思う。